撮影:山本倫子
© Gerhard Richter 2022(07062022)

この人を巨匠と言わずして、誰を巨匠というのか。ゲルハルト・リヒター。60年に渡る創作活動を本人の作品選定と展示設計を元に構成した回顧展が開催中だ。奇しくも東京国立近代美術館創立70周年にあたる今年開催される展覧会でもある。とはいえ現代美術愛好家を除いて、リヒターの名前を知っている人がどれほどいるのだろうかと、素朴な疑問が......。これを読んでリヒターにまた一歩近づく。🅼

リヒターは既成の写真に基づく初期の「フォト・ペインティング」からモノクロームの油彩シリーズ「グレイ・ペインティング」、絵の具のマティエールが際立つ「アブストラクト・ペインティング」、色見本帳から触発されて限られた色をランダムに併置する「4900の色彩」、アブストラクト・ペインティングを分割した細い帯をつなぎデジタル・プリントした「ストリップ」、ガラスによる立体作品等々さまざまな素材と手法を駆使しつつ、「見ることとは何ぞや」という問いを追求し続けてきた。だが、ガラスによる立体作品(愛媛県の豊島の「ゲルハルト・リヒター THE TOYOSHIMA HOUSE」)を除いて、国内の美術館所蔵作品は制作期間の長いアブストラクト・ペインティングが大半を占めているため、彼の表現手法の多様性と思考の軌跡を実際の鑑賞体験を通じて把握するのは容易ではない。

ゲルハルト・リヒター《4900の色彩(CR: 901)》 2007年 ゲルハルト・リヒター財団蔵
ラッカー、アルディボンド、196枚のパネル 680×680cm パネル各48.5×48.5cm 
© Gerhard Richter 2022 (07062022)

ゲルハルト・リヒター《アブストラクト・ペインティング(CR: 952-2)》 2017年 ゲルハルト・リヒター財団蔵
油彩、キャンバス 200×200cm © Gerhard Richter 2022 (07062022)

しかも彼は、「解釈できてしまうような意味を含んだ絵画は、劣った絵画である」と宣う。

ううむ。これだけあれこれトライしているのに、見る人に「解釈などするな。君たちが求める意味なぞない」と宣言を下されているようなもの。

では、どうすれば良いのだろう……。ふとひらめいたのはアンディ・ウォーホルの言葉。

「もしアンディ・ウォーホルのすべてを知りたいのならば、私の絵と映画と私の表面だけを見てくれれば、そこに私はいます。裏側には何もありません」。

おおっ!そうであったかと腑に落ちた。

というのは、リヒターの画業において1950年代末から60年代初期にかけての欧米美術の動向との出会いは、人生を左右するとてつもない衝撃を彼に与えたからだ。

なぜなのか。それはリヒターの生い立ちと決断とに関わっている。

1932年にドイツのドレスデンに生まれたリヒターは、ドレスデンでデザインや美術を学ぶ。

彼が生まれた翌年にはナチスがドイツの政権を掌握。彼は幼少期から少年時代初期をナチスの政権下で送り、ドイツ敗戦後は共産圏に属する東ドイツで壁画家としてのキャリアを積む。だが、共産圏においては、労働者階級の国民の共産主義的理想の国家形成を目指す自覚を促すために、写実描写と明確な形態による「わかりやすい」造形表現(社会主義リアリズム)が求められていた。おそらくそのままドレスデンに留まっていれば、リヒターは壁画家として評価され安定した社会的地位を保障されていただろう。

だが、23歳の時に友人とハンブルクとミュンヘン、パリを訪れ、27歳の時にカッセルで開催されていた国際美術展「ドクメンタ2」でアメリカの抽象表現主義の画家ジャクソン・ポロックやイタリアのルーチョ・フォンタナの作品に触れる。また雑誌などを通じてアメリカのポップ・アートの動向にも関心を持っていたこともあり、共産圏にはない「表現の自由」に目覚める。

そして翌年、東西ドイツを分断する「ベルリンの壁」が建設される数ヶ月前に、妻とともに密かに西ドイツに移住。デュッセルドルフ芸術アカデミーでジグマール・ポルケ(同じく東ドイツから移住)、コンラート・リューク、ブリンキー・パレルモらと交流し、30歳で写真に基づく最初のフォト・ペインティングを制作。家族写真や報道写真、広告写真を拡大して緻密な筆さばきで丹念に模写し、絵の具が乾く前に左右に筆を動かして、ブレやボケが生じたようなイメージを作り上げる。

一見写真に見えて実は手で描かれた「絵画」が立ち上がってくるという、一筋縄ではくくれないリヒター的仕掛けの誕生だった。

ゲルハルト・リヒター《モーターボート(第1ヴァージョン)(CR: 79a)》 1965年 ゲルハルト・リヒター財団蔵
油彩、キャンバス 169.5×169.5cm © Gerhard Richter 2022 (07062022)

ゲルハルト・リヒター《グレイの縞模様(CR: 192-1)》 1968年 ゲルハルト・リヒター財団蔵
油彩、キャンバス 200×200cm © Gerhard Richter 2022 (07062022)

そしてこの「仕掛け」を支えているのは、共産圏国家によって養成された超絶技巧的な写実描写のテクニックであることに注目しておきたい。拡大した写真イメージを黙々と模写する作業には、確かに意味があるとは思えない。だが、その寡黙な作業を通して炙り出されるのは、家族という小さなコミュニティの記憶すら包み込み飲み込んでいく、メディアによるイメージ操作の虚構性なのだ。リヒター作品には、「社会主義」にしても「資本主義」にしても、国家イデオロギーが表現に強いる形式、あるいはイデオロギーに染められた思考は、「信用ならぬもの、人の道を誤らせるもの」という強い拒絶と批判が籠められている。

「意味を求めるな、解釈するな」という発言は、「作品の意味ではなく、俺の行為の真意を探れ」という暗黙の指示なのだろうか(今風に言えば「ツンデレ」以外の何物でもないのだが……)。

先に述べたように、それ以降のリヒターの表現スタイルはピカソに匹敵するほど次々と変化し、それらが同時進行でシリーズ化されていくというピカソのはるか斜め上をいく展開を示す。

いずれも過去の美術作品との対話を通して、「見ること」「見えること」「見えているもの」「絵画」とは何か?という問いを実体化する試みであるが、多岐に渡る実践をひとつひとつ紐解くスペースの余裕はなさそうだ。

各シリーズに込められた素材と主題の検討は専門家の方々の考察に委ねるとして、ここでは今回の展覧会の一推し作品「ビルケナウ」について触れておきたい。

撮影:山本倫子
© Gerhard Richter 2022 (07062022)

「ビルケナウ」は、強制収容所アウシュビッツに隣接する村ブジェシンカ村(ドイツ語名ビルケナウ)に設けられた絶滅収容所で撮影された写真に基づく4点の連作である。

ガス室に追い立てられる女性たちや屋外で焼却されるおびただしい死体の写真は、死体処理作業に携わるゾンダーコマンド(強制された囚人による特殊部隊)が密かに撮影し、収容所外に流出させたものだ。

リヒターは4枚の写真をキャンバスにプロジェクションし、丹念に描き写していった。だが、約一年後、描かれたフォト・ペインティングは黒と白、赤と緑を基調とする暗鬱な色彩の分厚い絵の具の層で覆われることになる。

人類史に刻み付けられた悲惨な情景を約一年かけて黙々と描き写す。どれほどの心理的重圧の時を過ごしていたことか……。

リヒターにとって、いや第二次世界大戦後を生きるドイツの人々にとって、ホロコーストは拭い去ることのできない倫理的・政治的な課題であり、対峙せねばならぬ過去の瑕瑾であった。

リヒターは1967年と1998年にアウシュヴィッツを主題とする作品を試みている。だが、いずれも実現は至らなかった。「ビルケナウ」連作が完成したのは2014年。それほど長い年月が必要だったのだ。

翌年、生まれ故郷のドレスデンでの展示の際には、作品タイトルは「アブストラクト・ペインティング」のみであり、アウシュヴィッツ・ビルケナウという主題は伏せられたままだった。

だが2016年、バーデン=バーデンで開催された展覧会で、彼は「ビルケナウ」という作品タイトルを採用。4点の油彩画と4点をデジタル・プリントした画像作品が向かい合わせに展示された。

ゲルハルト・リヒター《ビルケナウ(CR: 937-1)》
2014年 ゲルハルト・リヒター財団蔵
油彩、キャンバス 260×200cm © Gerhard Richter 2022 (07062022)

今回の展示は、相対する壁面にかけられた油彩作品とデジタル・プリント作品、両者をつなぐ壁面に横長の巨大な鏡、そして鏡と向き合う小さな壁面の4枚の収容所の写真で構成されている。

鏡は油彩画とプリント作品の「ビルケナウ」を映し出し、「ビルケナウ」の鑑賞中に動き回る観客をも映し出す。

© Gerhard Richter 2022 (07062022)
撮影:山本倫子
□3点の画像を合成

21世紀を生きる私たちは、鏡によって20世紀の負の遺産が塗り込められた何十年もの時の積層に取り込まれていく……。

ふと、思う。自分は今、どんな時間を、時代を生きているのだろうかと。

足元の大地あるいは床を奪われ、突如宙吊りにされる浮遊感。それは決して快いものではない(かつての大日本帝国を含め、人類の人類に対する蛮行は今も繰り返されているのだから)。

「意味を見出すな、解釈するな」と言われても、私たちは生きている限り「意味」と「解釈」を積み重ねていかねばならない。

「ビルケナウ」は反語的に、私たちに託された「意味」と「解釈」の辛うじて残された可能性の余白(あるいはかすかな希望?)を突きつけてくる。

まったくなんと複雑怪奇な御仁だろう。

確か、2017年には「画家生活から退く」という引退宣言していた記憶があり、体力的な限界のせいかと思っていのだが、いつの間にか「油彩大作は描かない」に変わっていたらしい(その後も継続中のドローイングは本展にも出品中)。

さらに、現在、スイスのバイエラー財団美術館で、今年1月に制作されたガラス絵の具と紙による新作31点の展覧会が開催されているのだ(8月14日まで)。

確かに油彩画ではないし、「描く」のではなくドリッピングによる小品ではあるのだが……。

「あっちを向いたらこっち」と、リヒターの深慮遠謀に振り回されてる感なきにしもあらず。

とはいえ、90歳を迎えてなお衰えない制作意欲。誠にもって慶賀の至りでございます。

ゲルハルト・リヒター展

会期 I 2022年6月7日(火) - 10月2日(日)
会場 I 東京国立近代美術館
開館時間 I 10:00 - 17:00 [金・土曜日は20:00まで] 入館は閉館30分前まで
※ただし、9月25日(日) - 10月1日(土)は10:00 - 20:00で開館します
休館日 I 月曜日[ただし9月19日、9月26日は開館]、9月27日(火)
お問い合わせ I 050-5541-8600(ハローダイヤル)
 
■巡回展
豊田市美術館 2022年10月15日(土) - 2023年1月29日(日)
 
 
■こちらの展覧会もゲルハルト・リヒター作品がご覧いただけます
 
国立西洋美術館リニューアルオープン記念「自然と人のダイアローグ」
フリードリヒ、モネ、ゴッホからリヒターまで
会期 I 2022年6月4日(土) - 9月11日(日)
会場 I 国立西洋美術館(東京・上野)
 
ポーラ美術館開館20周年記念展「モネからリヒターへ ー 新収蔵作品を中心に」
会期 I 2022年4月9日(土) - 9月6日(火)
会場 I ポーラ美術館(神奈川・箱根)
 
 
■展示作品、 会期等については、 今後の諸事情により変更する場合がありますので、 展覧会公式サイト等でご確認ください

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