美術史の豊かな知識を土台にして、当代一の画力を武器にどこにもない絵を生み出す。そんな人気画家、山口晃ガハクは夫婦揃って食いしん坊。日常で、旅で、制作中の日々で、散歩の途中で何を食べてるの? ガハクが日常を描くコミックエッセイ『すゞしろ日記』に「カミさん」として登場するガハク妻による食事帖。連載2回目は紙容器入り峠の釜めし、デパ地下イタリアン、救いのデザート……。🅼
絵/山口晃

第2日:門前道のパティスリー

昨日の帰路のこと。

ZK寺からホテルまで歩いて20分ほどの道のり、日陰のある方の歩道を行く。
紫を感じる陰の中、暑さに耐えつつ歩いていると「フレッシュフルーツかき氷」の写真入り宣伝がゆらゆらと風にのって目に入ってきた。
観光地らしからぬセンスのいいすっきりしたデザインが際立つ。
視線を移すと木調の落ち着いた建物の、なんだか体裁のよいケーキ屋があった。
カフェも併設している模様だ。
心の中のメモ帳にチェック✔

さて、今日のお昼は駅前の東急のデパ地下で探してみようと思う。
探検隊のようにエスカレーターを降りてゆくと入り口には「Foodshow」と記されている。
渋谷東急のそれが脳裏をかすめて色めき立った・・・が、銘菓、酒屋、生鮮食品類、こだわり食材、と一通りが非常にコンパクトにフロアにまとまっていた。
 
選ぶに困るほど店舗は多くないので、いつネタ切れになるか、今後のお弁当手配の不安はぬぐわれない。
まずは折よく見つけた定番の釜めしを選ぶ。
好んで選ぶ品ではないが、子どもの頃家に陶器の入れ物があったことを懐かしく思い出した・・・という点で決定した。(ただし、ここで販売されていたのは使い捨て紙容器バージョン)
野菜不足はよくないので、和食には合わないけれどイタリアン惣菜店でガハクの好きなタコの入ったサラダを追加する。
 
駅からZK寺までは約2キロあるためバスを利用する。
最寄りバス停で降車し境内を経由して事務所までの距離はほんの5分ほどなのだが、高台にある寺に向かって緩やかな坂を登っていくせいか倍くらいの時間に感じられる。
正午近くで日陰も全くない中、ふさがった両手で日傘もさせずまぶしい光を顔にあびながら暑さを受け止めると、光を集めた頭の黒い髪から煙でも出るのではないかと感じられた。
せっかくバスに乗っても結局は暑い中荷物を持って歩くという過酷な状況からは逃れられなかった。

2日目お昼:
・峠の釜めし パルプモールド容器
・タコとじゃがいものサラダ
 
「陶器じゃなくなっちゃったんだ?これね、お父ちゃんがたまに買ってきた」
「駅弁フェア?」
「違うよ。駅弁っていうのは・・・(以下ひとしきり駅弁フェアがいかに愚かしいイベントかと語る部分省略)・・・釜めしは横川のでしょ」
「横川って?」
横川というのは地名で、群馬県の西端の方、長野との県境に近い峠のふもとに位置するそうだ。
釜めしの掛け紙の住所を見ると確かに市町村名の箇所に横川と書いてある。
 
「桐生(ガハクの住んでいた所)から近いの?」
信越線に横川駅があり、対して両毛線上の桐生は県の東端でちょうど真反対になるそうで、なじみのある地域ではないとのことだった。
 
それにしても峠の釜めしはガハクの育った群馬県産のお弁当だったとは。
長野県出身の私の母が、やたら峠の釜めしについて語っていた記憶があったため、てっきりこれは長野のお弁当だと思っていた。
 
ご当地弁当を入手したつもりだったけれども、長年の勘違いが修正された瞬間だった。
後日母に伝えた所、今になって群馬のお弁当と知って同じく驚いていた。
峠の釜めしが作られ始めたのは昭和32年だとのこと。
母はいつ頃からこの味に親しんでいたのだろうか。
オリジナルの陶器の入れ物は実際お米を炊くこともできるらしい。
陶器製は重たいし持ち帰るにしても処分するにしても大変になるけれど、今日入手できたのは紙製だったので多少物足りなさはある。
 
前置きはともかく、久しぶりに口にする峠の釜めしはくさみのない鶏肉、薄味の野菜、甘さと酸味がちょうどよいアンズ・・・と予想に反した上品な仕上がりで、ガハクも私も記憶していた味が良きものとして上書きされた。
次は是非日本酒などをお供に食べてみたい。
 
また、紙容器の形もなかなかよく、ボリュームのあるコロンとした形状は元来の陶器の形をできるだけ踏襲しようという心遣いが見て取れる。
ちなみにこの紙製パルプモールド容器は2013年に「GOOD DESIGN賞」を受賞しているのだとか。
さらに、オマケのように付随しているプラスチックケースは陶器のお釜がクッキーのように型取られており、中にはちまちまと数種類のお漬物がきれいに収まって、このミニチュア感が可愛らしい。
 
「これはどこで買ったの?」
ガハクがたずねてきた。釜めしにはそぐわない風情の洋風のタコのサラダがやたらおいしいとのこと。
チェーンではないイタリアン惣菜屋で入手したものであったが、言われてみればどこか丁寧で繊細な味があり、「人」が作ったという気配が感じられた。
往々にデパ地下のサラダはネーミングと見た目は華やかなのだが味は個性がなくどこかがっかりさせられ、無理にこれはおいしいと言い聞かせながら口に運ぶことになる。
けれどもこのサラダは、料理上手の知人のお宅で出されたような親近感と安心をもって食べることができた。
 
さほど期待もしていなかったにも関わらず、今日のお昼ごはんはおいしいものばかりとなり、昨日の昼とは心持ちがずいぶん違った。
 
会議室の大きな窓の外に広がる緑の山々と空、お寺の屋根、百日紅の花の咲いている墓地といった風景がさわやかに目に入ってくる。(注:私たちは谷中に住んでいるので墓地は見慣れた日常の光景なのです)
 
そんなわけで気分も上向いていく。
「昨日素敵なケーキ屋さん見つけたんだけど、今晩のデザートに買ってもいいかな」
「・・・今は感染に気をつけなければいけないから、しなくていい買い物に行くっていうのはどうなんだろうね」
つれない返事に私はフグのような頬となった。
「・・・いいよ・・・じゃ買わないし」
すると急に慌てて言い直してきた。
「いやいやちょっと待って」
 
海外での買い物の値切り交渉でも同じような場面があったような。
予想より高かったので、では買えないと踵を返した瞬間呼び止められ、その後交渉がまとまった。
 
ガハクの場合、少しでも感染のおそれがある行為を勧めることはできないので、聞かれたら現状却下しなければならないが、そうはいっても本当はケーキが出てくることを期待しているのだそう。
ダメと言ったのに買ってしまったのなら仕方がない、と言い訳しつつ結局は食べたい、ということだ。・・・
分かりづらくて困る。
 
晩の買い出しもあるので、制作を続けるガハクを置いて私は一足先に帰路についた。
15:30、昼前はショーケースにいっぱいだったケーキ類はもう何もなかった。
1個だけ、ぽつんとプリンのようなグラス入り菓子が残っていた。
残り物というものはなんだかぱっとしない。
今日は諦めようかと思ったけれど、洒落たディスプレイの店内を見回すと焼き菓子類もあり、せっかくだから買っておくことにした。
 
レジに向かうと可愛い制服の店員さんが。ケースに残った品を近くで見ると、ふと不憫な気持ちになってそれが何かを識別しないまま、オレンジと白の物体もオーダーしてしまった。(これが後に命拾いすることになる)
 
部屋に帰るとガハクも戻っていた。
「残念なお知らせなのだけど・・・」と私は切り出した。
「ケーキは売り切れで、もう何もなかった」
「え・・・・!!!」ガハクが落胆のあまり、アイスキャンデーの最後の一口が棒から落ちるかのように床に崩れていった。
今日はすっかり食後にケーキがあると思いこんでいたそうなのだ。
 
「あ、でも、1個だけプリンみたいなのがあったからそれは買った。あと焼き菓子もあるよ」
慌てて言い訳のように付け足すと、空気を入れられてゆくバルーン人形よろしく徐々に起き上がって復活した。
危なかった。残っていた生菓子を買っておいて本当によかった。
まさかこんなに期待していたとは。
 
2日目夜:すべて長野東急で入手
・ボロネーゼパスタ *お昼と同じイタリアン
・デミグラハンバーグ丼 *お昼と同じイタリアン
・じゃこのサラダ *お昼と同じイタリアン
・じゃがいもとポロ葱の冷製ポタージュ *食品売り場 
・白ワイン、ハーフボトル *内容的に赤にすべきだけれど諸事情で白に
 
洋風にまとめたディナーのあとは、部屋に置いてあるコーヒーと共にデザートの時間に。
箱からグラスを出してみると、オレンジ色のフルーツが載っている程度で見た目はかなり地味めだ。
 
ひとつしかないので二人でつついて分け合う。
上に載っていたのはマンゴーだった。
ゴロっとした大きめのカットで食べ応えがある。
その下はトッピングフルーツと違和感なく自然に溶け合うマンゴープリン。
さらにその下の層へと突き進むと白いミルク風味の何かババロア的な部分。
底はやや濃い目のオレンジ色をしていて、マンゴーのソースかと思いきや酸味が強い・・・
パッションフルーツだ。
3層になった本体は、単品でも混ざっても絶妙にマッチする。
甘さを引き立てつつ自己主張もそれなりにで、やはりパッションフルーツが効いている。ガハクもすっかりご満足のようで無言になって味わっている。
 
こんなホテルの狭苦しい一室での惣菜夕食でも、素敵なデザート、本気の一品があるだけでレストランに来たかのような気分になれた。
さて、明日のご飯は何を探そうか。
 

■「おべんとう日記3」は、こちら。

●山口晃さんってどんな画家?
1969年東京都生まれ、群馬県桐生市に育つ。96年東京藝術大学大学院美術研究科絵画専攻(油画)修士課程修了。 2013年『ヘンな日本美術史』(祥伝社)で第12回小林秀雄賞受賞。
日本の伝統的絵画の様式を踏まえ、油絵で描く作風が特徴。都市烏敵図・合戦図などの絵画のみならず立体、漫画、インスタレーションなど表現方法は多岐にわたる。
主な個展に、2015年「山口晃展 前に下がる下を仰ぐ」(水戸芸術館現代美術ギャラリー、茨城)、18 年「Resonating Surfaces」(大和日英基金ジャパンハウスギャラリー、ロンドン)など国内外展示多数。
2019年 NHK大河ドラマ「いだてん 〜東京オリムピック噺〜」のオープニングタイトルバック画を担当し、22年善光寺(長野)へ《善光寺御開帳遠景圖》を奉納する。
2023年9月アーティゾン美術館にて個展開催予定。

写真は、ガハクが画室としていたZK寺の一会議室の窓からの眺め

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