美術史の豊かな知識を土台にして、当代一の画力を武器にどこにもない絵を生み出す。そんな人気画家、山口晃ガハクは夫婦揃って食いしん坊。日常で、旅で、制作中の日々で、散歩の途中で何を食べてるの? ガハクが日常を描くコミックエッセイ『すゞしろ日記』に「カミさん」として登場するガハク妻による食事帖。一番好きな国はイタリア? ガハク夫妻がヴェネチアを行く。その後編。🅼
 
絵/山口晃

(「ヒゲのガハクごはん帖」ヴェネチアの旅[前編]からのつづき)

ヴェネチア・ビエンナーレ見学中のお昼といえば、ジャルディーニと呼ばれるほうのビエンナーレ会場を出て公園を抜けた先の大通りに、気に入っている通称「三角サンドの店」がある。
少しすすけた店構え、女主人とおぼしきおばさまはヘアスタイルとメイクがなんとなくパンクな雰囲気で入るにはやや躊躇するような名も無き(看板などが見当たらない)カフェ?だ。

しかし、ここのサンドイッチは日本の三角サンドのように白いやわらかいパンが使われているので食べやすく、しっとりした具がはみ出さんばかりに入っている(実際の形は三角ではなく四角くカットされている)。
 
歩き疲れた時はパサパサの巨大なサンドイッチなどもう食べる気がしないけれど、この水分にあふれたサンドイッチは滋養のようにしみわたっていく。
簡素な店にも関わらず種類は意外にも多く、ショーケースの中には定番のトマト&モッツァレラや生ハム、ツナにタマゴとか、カニとルッコラなどなど。
具をあえている白いソースにおいしさの秘密がありそうだが、一体何かは見当がつかない。
どうやって味付けがなされたのかをつかみとろうと目を閉じて集中するも、浮かんできそうになると覚めたそばから忘れていく夢のように消えていってしまう。
「イタリアな味がするねー」
という気の利かない感想しか出てこず、ふたりとも早々に分析を中止して食事に専念する。
 
大ぶりのグラスになみなみと注がれたねぼけた味のプロセッコを飲みつつ、忍者のごとくテーブルに近寄ってくる鳩を追い払いながら、中身をこぼさないようサンドイッチをほおばるのは実に一興だ。
ガハクも、お店に愛想はないが心が開かれている感じがして好き、と評している。


夜に行くのが「レジーナ」という店。
でもこれは本当の名前ではなくて、外国語に弱いガハクが勝手にそう呼んでいるだけで、定宿にしている某ホテルのことも「レジーナ」と言い表されている。
「明日は20:00にレジーナだね」
とか
「レジーナに帰ろう」
などのように使われる。ガハク的にイタリアっぽい響きなのだろう。
(今調べてみたところ、イタリア語でReginaは女王という意味なのですね。尚、レストランもホテルも本名は「レジーナ」とはほど遠い名前です)
どこを指しているのかは話の流れから推測できるので私もあえていちいち訂正せずに聞き流している。
 
この店はオステリアを名乗っていて、イタリアの食事処の種類分け説明によるとワインと簡単な食事を提供する日本でいう「居酒屋」的なものにあたるそうだが、コースもあり器も趣向が凝らされて料理の盛り付けもきれい。
店内も洒落た感じで落ち着いて食事が出来るので少し上等な気持ちになる。
テラス席だったらなおよい。
 
「広場にある赤いひさしの店」にもよく行く。ホテルの割と近くにあるけれど、私には到底覚えきれない道順でたどり着く奥まった小さな広場に面した、テラス席の設けられた店だ。
シェフがよく変わるようで毎回メニューがどこか違う。

前回訪れた時は、デザートのソルベット(たぶん。もしくはグラニータという名だった?)とフラゴリーノ(食後酒)が印象的だった。
名前からしてシャーベット的なものであると推測し、白いシャツに黒いベストでかっちりとキメている女性店員に注文してみる。「レモン味しかないけれどいい?」と聞かれてしばらく待っていると、工事現場か祭りか?といったカンカン、カチャカチャという金属音が響いてきた。見ると先ほどのお姉さんがカウンターにて何かを懸命にボウルの中で撹拌するというか叩いている。音の大きさからして結構力がいるようで大変そうだ。しばらくして静かになり、運ばれてきたのはグラスに太いストローが添えられたスムージー的な品。想像していた形状とは違っていたが味の方は見た目通りで、ひんやりとした液状のレモン氷だった。しかし、あんなにも手間がかかるものなのかと知るとありがたさでおいしさが倍増し、ものすごくいいものとして記憶されている。また食べたい。
 
フラゴリーノはヴェネチアのグルメで検索すると必ず出てくる希少な甘いワインとのことで、どんなものか非常に興味があったが、お目にかかったことがなかった。
それがついに試せるとあって、期待はかなり高まった状態に。
そして目の前に置かれたのは・・・お皿に5種類ほどのクッキーが円形に並べられ、その真中に無骨で地味なコップになみなみと注がれた赤い液体、とまたしても思いもよらない状態で出てきた。
ワインにはクッキーを浸して食べる、と解釈する。まずは念願のフラゴリーノを味見。
「甘い・・・」
デザートワインなので甘いのは当然として、フラゴリーノという素敵な名前がついているからにはもっとこう果実味にあふれているとか、まろやかさが違うとか特別感があるものと思い込んでいた。頑丈なコップの厚いガラスも口当たりを損ね、味わいは繊細さからほど遠かった。けれどもそれゆえに気取りなく挨拶を交わしてくれて、まぁここでゆっくりしていってよ、と声をかけてもらった気持ちになる。
しんなりしたいかにも外国っぽい味のクッキーと、普通に食後酒だったフラゴリーノであったが、元々私は硬いビスケットのカントゥッチをワインやコーヒーに浸して食べることが好きなので、出された形式はいたく気に入った。
「それの何がいいのか理解の外だね」
常々カントゥッチおよびその食べ方が好みでないガハクが、クッキーを浸しながら合間にちびちびワインを飲む私に対して冷ややかに意見する。
「味が浸みておいしくなるわけでもないし、ぼろぼろになってくずれるだけだし、いいことなんてひとつもない」
と続けられて私が返す。
「えー、でも、ワインがしみると風味がいい気がするし。やわらかくなると食べやすいし・・・何かこう楽しいし」

結局楽しさなのかもしれない。
形状が変わる様子とか、自分で調整するとかという。
甘いワインに入ったクッキーの小さな破片がふやけ、飲むたびにむせそうになりながら私はガハクに反論する。
2人の意見は平行線のまま、グラスがいつのまにか空になる。
 
まだまだヴェネチアでの話は尽きないけれども、夜もふけたようなのでそれはまたいずれ。

通称「広場にある赤いひさしの店」のフラゴリーノ

■次回「ヒゲのガハクごはん帖」は1月第1週に公開予定です。

●山口晃さんってどんな画家?
1969年東京都生まれ、群馬県桐生市に育つ。96年東京藝術大学大学院美術研究科絵画専攻(油画)修士課程修了。 2013年『ヘンな日本美術史』(祥伝社)で第12回小林秀雄賞受賞。
日本の伝統的絵画の様式を踏まえ、油絵で描く作風が特徴。都市烏敵図・合戦図などの絵画のみならず立体、漫画、インスタレーションなど表現方法は多岐にわたる。
主な個展に、2015年「山口晃展 前に下がる下を仰ぐ」(水戸芸術館現代美術ギャラリー、茨城)、18 年「Resonating Surfaces」(大和日英基金ジャパンハウスギャラリー、ロンドン)など国内外展示多数。
2019年 NHK大河ドラマ「いだてん 〜東京オリムピック噺〜」のオープニングタイトルバック画を担当し、22年善光寺(長野)へ《善光寺御開帳遠景圖》を奉納する。
2023年9月アーティゾン美術館にて個展開催予定。

コメントを入力してください

コメントを残すにはログインしてください。

NEXT
OTHERS