ポール・セザンヌ《リンゴと洋ナシのある静物》 (部分)
1891-92年頃 ニューヨーク、メトロポリタン美術館 Bequest of Stephen C. Clark, 1960 / 61.101.3

描かれた登場人物よりも背景を熱心に見ていたり、背景の中でも地上よりも空や雲を見ていたり。画家たちが先達の作品を見るときの意外な発言に驚いたり納得したりする。
野又穫は現実には存在しない空想上の建造物を生み出す。それは具象絵画でありながら時間、空間の特定ができない風景を描くということ。
そんな画家はメトロポリタン美術館展をどう見たのだろうか。🅼

昨今、コロナという時代にあって、あらゆることがオンラインで済ませられるようになり、美術館からも足が遠のいてしまいましたが、もともと私は積極的に展覧会に足を運ぶタイプの人間ではなく、実はそれほど「困ったな」という気持ちにはなりませんでした。このような状況になって初めて、自分の美術の知識のほとんどが、画集によって成り立っていることに気がつきました。

考えてみれば、実際に作品との衝撃的な出会いを経験したのは、ライオネル・ファイニンガーの絵画とトーマス・バイルレの版画くらいです。

これまで影響を受けた作品の多くは海外作家のもので、作品を直接目にするためには、海外の美術館を渡り歩かなければなりません。結果的に、実物に出会えた「お気に入り」と呼べる作品は数えるほどしかありませんが、それらのほとんどを洋書から知ったにもかかわらず、実際に見てきたかのように感じています。

今回、メトロポリタン美術館展のお目当てはラ・トゥールでした。本展は、大貫妙子さんの楽曲『メトロポリタン美術館(ミュージアム)』のイメージもあり、西洋絵画の500年間をタイムトラベルする気分で会場を巡りました。

しかしそうは言っても、展覧会の見方はいつも通り。まずは軽く一巡して全体を一通り眺め、出口付近から入口に向かって、人が疎らな作品や気になる作品をじっくり見てまわりました。

作品観賞については、正面から見て主題と向き合うというよりも、色彩のハーモニーと構図の検証、その後に低姿勢で作品を見上げて、ライトに照らされた絵肌をじっくりと観察している時間がほとんどです。

日頃、作品制作に七転八倒している身として、歴代の作家が絵肌に残した格闘の痕跡と向き合えるのは貴重な時間です。下から絵肌を見上げることで、表面の細かな凹凸や、それによってできる陰影が際立ち、生々しい筆遣いが見て取れます。どんな名品といえども隙がないわけではなく、時折「あれ?」と思うような箇所を見つけてしまうこともあり、作品の印象が変わったりもしますが、どの作家も「構図」「明暗」「密度」など、巧みに解決方法を発見していて、完成を目指す職人の執念を感じ取ることができます。

ルカス・クラーナハ《パリスの審判》

ルカス・クラーナハ(父)《パリスの審判》
1528年頃 ニューヨーク、メトロポリタン美術館
Rogers Fund, 1928 / 28.221

展示作品の中で、最初に注目したのが《パリスの審判》です。 
 
クラーナハ作品の登場人物は皆、含みのある表情や仕草が印象的で、それぞれの人物が鮮明に記憶に残っています。特に登場人物の鑑賞者への目線、人体の細部、全体のバランスが奇妙という点では、デューラーに代表される北方ルネサンス特有の完璧主義的な精緻さとは対極にあるとも言え、技法よりも主題に重きを置く作風に彼自身の主張を感じます。この作品で一番気になったのは、登場人物が配置されている舞台、つまり背景となる風景で、崖下に描写された建造物と、遠景の青い影を持つ山、そしてその山の陰影に呼応するように抉られた奇岩の眺めに引き込まれてしまいました。違和感のある人体描写に対して、背景は全く破綻のない自然な奥行きで描かれ、自然に対する謙虚な姿勢がうかがえます。これまで画中の登場人物の印象から作品の好き嫌いを決めていた自分を反省しつつ、やはり観察を基礎とした北方ルネサンスの系譜にある作品なのだと再認識できました。

エル・グレコ(本名 ドメニコス・テオトコプーロス)《羊飼いの礼拝》

エル・グレコ(本名 ドメニコス・テオトコプーロス) 《羊飼いの礼拝》
1605-10年頃 ニューヨーク、メトロポリタン美術館
Rogers Fund, 1905 / 05.42
エル・グレコ(本名 ドメニコス・テオトコプーロス) 《羊飼いの礼拝》
1605-10年頃 ニューヨーク、メトロポリタン美術館
Rogers Fund, 1905 / 05.42

青空のないエル・グレコの作品を見たのは初めてでした。空が描かれていないことで、一瞬期待外れな気持ちを抱きましたが、画面が暗い割には重たい圧のようなものがこちらに押し寄せて来ず不思議に思いました。暗い色合いの中で、この軽やかさはどこから来るのだろうと、謎を解く時間が面白く、現在から未来への期待、祝福、犠牲などを説明的に描きながら、それを説教臭く感じさせない技術に圧倒されました。
 
画面の右奥、夜の闇には雲が描かれていて、室内画にもかかわらず、画面全体に何とも言えない無重力感が漂っています。これまでグレコ絵画の魅力は「青空」「ちぎれた雲」、そして「天を見つめる眼差し」と決めつけていましたが、画面中央下から羊、キリスト、天使への流れを左右に配置された人物が作り出す「浮遊感」、あるいは「天に引き上げる揚力」こそが本当の魅力なのではないかと、この作品を通して初めて気づかされました。
 
厚く荒々しい絵肌と、塗り重ねられた色彩。「よし、完成! 次は額だ!」というグレコの呟きが聞こえてくる気がします。
 
そうなんです、この作品は額も良かったんです。暗くて判別しづらかったのですが、作品に合わせて黒か深い緑色に塗装された木枠に簡素な装飾が施され、大変作品に馴染んでいました。
 
昨今、額装を行わないコンテンポラリーアートを見慣れた目に、あらためて額の魅力を思い出させてくれました。

参考作品 | 本展への出品はありません
野又穫《Windscape-9》1997 カンヴァスにアクリル
個人蔵 © Minoru Nomata

グイド・カニャッチ《クレオパトラの死》

グイド・カニャッチ《クレオパトラの死》
1645–55年頃 ニューヨーク、メトロポリタン美術館
Purchase, Diane Burke Gift, Gift of J. Pierpont Morgan, by exchange, Friends of European Paintings Gifts, Gwynne Andrews Fund, Lila Acheson Wallace, Charles and Jessie Price, and Álvaro Saieh Bendeck Gifts, Gift and Bequest of George Blumenthal and Fletcher Fund, by exchange, and Michel David-Weill Gift, 2016 / 2016.63

今回の展示で初めてこの作品を知り、登場人物と背景の陰影、色彩の完璧な美しさ、構図といったすべての要素に引き込まれました。少しの時間をおいて、作者にとって主題はどれほど重要だったのだろうかと疑問が湧き、描きたかったのはクレオパトラではなく、このポーズの女性だったのではないかと思い至りました。作家にとって主題は方便で、創作に没入するきっかけのひとつにすぎず、美的調和が達成されれば主題は何でもよかったと考えるのは作者に失礼でしょうか。

ピーテル・クラース《髑髏と羽根ペンのある静物》/ ポール・セザンヌ《リンゴと洋ナシのある静物》

ピーテル・クラース《髑髏と羽根ペンのある静物》
1628年 ニューヨーク、メトロポリタン美術館 Rogers Fund, 1949 / 49.107
ポール・セザンヌ《リンゴと洋ナシのある静物》
1891-92年頃 ニューヨーク、メトロポリタン美術館 Bequest of Stephen C. Clark, 1960 / 61.101.3

この二つの静物画が展示空間に並んでいたら、面白かったに違いないと思いました。
《髑髏と羽根ペンのある静物》は、生の儚さを完成された写実技法で見せつけるかのように描いた作品です。私にとってヴァニタス絵画はどれも魅力的で、サイズ的にも所有欲が湧き、自分用に一度描いてみたいと思うほど好きなジャンルです。しかし先ほど述べたように、描き手の教養と技巧の誇示そのものとも思えたり、作品を所有する人物にとっては「こんなものも持ってるぞ!」といったコレクションの余力自慢のような存在に感じたりもしていています。好きなジャンルであることに変わりはありませんが、こっそりと一人で愛でるような、プライベートな作品であってほしいという願望もあり、私の中でどのように位置付けてよいのか分からない面もあります。

《リンゴと洋ナシのある静物》は、クラースのヴァニタスと並べた時、画面に占めるテーブルと背景の割合が、どことなく似ているように感じるのは私だけでしょうか。もしかすると私たちが見てきたセザンヌの静物画は、ヴァニタスから良い意味で説教臭さを形骸化したもの、もしかすると「ヴァニタスの未来形」と呼べるものなのかもしれません。また、よく見れば、果物が置かれたテーブルの後端は地平線で、背景の青い壁では、プロヴァンスの山々が暑い空気の中で揺らいでいるようにも見え、戸外で風景を描くのと同じ筆致で描かれていることがわかります。ここでは戸外の眩しい光を室内に取り込む実験をしているようにも感じられました。

(「スローな絵画、スローな時間 後編」につづきます)
 

 
編集協力/Nomata Works & Studio

メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年

会期|開催中 - 2022年5月30日(月)
会場|国立新美術館 企画展示室1E
開館時間|10:00 - 18:00 [毎週金・土曜日は20:00まで 入場は閉館の30分前まで]
休館日|火曜日[ただし、5月3日(火・祝)は開館]
お問い合わせ|050-5541-8600 [ハローダイヤル]

■会期等、今後の諸事情により変更される場合があります。展覧会ホームページでご確認ください。

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