ティツィアーノ・ヴェチェッリオ
《ヴィーナスとアドニス》1550年代 ニューヨーク、メトロポリタン美術館
The Jules Bache Collection, 1949 / 49.7.16

美術館に行って展覧会を見て、家に帰り本を読む。本を読みながら、展覧会で見たあの絵を想う。音楽家の渋谷慶一郎が展覧会を見て、感じたこと、考えたことから本を選んだり、読書案内をするコラム。「メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年」を見たあとでの話題は祭壇画に行き着いた。🅼

聞き手:鈴木芳雄

渋谷慶一郎さんと「メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年」(国立新美術館)を見たあとで、本の話をしました。特に印象に残った作品はどれだったとか、どの画家が好きだとかの話になるかと思っていたものの、予想は裏切られました。
 
 
 
−−渋谷さんとは代官山の蔦屋書店でバッタリ会ったりしますね。いつも熱心に本を探していて。それで本の話をしてみたいと思いました。「西洋絵画の500年」を見渡す展覧会を見て選んでくれたのは?
 
 
「『祭壇画の解体学』という本があるんですが、正直これを読んですごく面白いとかそういうことではなくて(笑)、というのも論文集みたいな趣の本なのです。ただ、僕の好きなティントレットやティツィアーノの、それも祭壇画について日本語で論じている本というのは意外に少なくて、こういうアカデミックな本になってしまうのか、と思いながら読んでみました。そういう本なので、最初から通して読むというよりは部分読みしてるんですけど」

遠山公一責任編集『祭壇画の解体学 サンセッタからティントレットへ』(ありな書房)

−−確かにこの本、遠山公一先生とか、越川倫明先生が書かれていますね。帯文から一部引用させていただきます。

「中世・近世ヨーロッパの絵画の大半はキリスト教主題を扱っており、(中略)私たちが教会を訪れて目にする絵画(壁画以外)、そして美術館で鑑賞する絵画は、そのほとんどが祭壇画、あるいはその一部であると言っても言い過ぎではない。(中略)私たちは、すでに多くの祭壇画と出会い、これを見ているのだ。」

−−美術館で見ている絵が祭壇画だったと意識すると開けてくるものがあると。渋谷さんが祭壇画に執着するのはなぜですか?

参考作品|メトロポリタン美術館展への出品はありません
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ
《ペーザロ家の祭壇画》 1519-26年 ヴェネチア、サンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ聖堂
Wikimedia commonsより

「それは音楽と結びついているからです。音楽は象徴性と記号性みたいなものと純粋知覚性の両方が並行して走ってますよね。90年代、ゼロ年代というのは純粋知覚性、いわゆるミニマリズムが非常に優位な時代だったのですが、2010年代に入ると、音楽という枠組みの中で、記号性や象徴性がどう機能するかということを考えざるを得なくなったということがあります。ひと言で言うと、ウェブで人が得る情報が冪乗(べきじょう)に増えていって、その情報のほとんどが視覚情報だから、音楽は優位性を失っていったんです。他方で音楽のミニマリズムみたいなものは成熟していくんですけど、僕は『THE END』(編集注:渋谷氏が初音ミクをフィーチャーしたボーカロイドオペラ。2012年初演)を発表したあたりから、人々のイマジネーションというか、象徴界みたいなものと音楽を、新しい形で融合できないかということに興味が向いていったんです。それで、美術はもともと好きでいろいろ見てたんですが、象徴性の源泉としてルネサンス期の絵画、ヴェネチア絵画のようなものに興味が向いていったんです。もともとの趣味も多分にあるとは思いますが。この興味とか、なんとも言えず好きだというのは現在も続いています。」

ティツィアーノ《ヴィーナスとアドニス》の前で。
国立新美術館「メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年」会場にて
撮影/森本美絵

−−ティントレットやティツィアーノを生んだヴェネチアは特異な地域ですね。とりわけ自由な表現が際立つ。ヌードを描く際にモデルにする娼婦に恵まれていたとも言われます。
 
 
「やれることが無限にある感じがあって楽しいんです。あと、人間を描くときの縮尺というか、バランスがおかしいですよね。腕が異様に長いとか。現実と想像の境界がない感じに。カラヴァッジョもそうだし、エル・グレコも。展覧会でも奇異な感じ。」
 
 
 
 
−−エル・グレコは「ギリシャの人」という意味ですが、出身のクレタ島は当時、ヴェネチア共和国の統治下でした。ヴェネチアに渡り、ティツィアーノに学んだ、あるいは影響を受けたと言われてます。
 
 
「僕は2017年にパリのオペラ座ガルニエで5日間くらい公演したのですが、そのあとヴェネチアを旅行したんです。ちょうどパラッツォ・グラッシとプンタ・デ・ラ・ドガーナでダミアン・ハーストの大規模な展示をしていたというのもあって、見に行ったんです。そのとき、ティツィアーノもティントレットも実物は初めて見たのかな、陶然としました。そして、不思議なことに、象徴性ということで理想としていることはこんなにも変わらないのかと思ったんです。ルネッサンス絵画もダミアン・ハーストも。」
 
 
 
−−そのときの渋谷さんにはダミアンがヴェネチアで展示してたことが大事だったんですね。「TREASURES FROM THE WRECK OF THE UNBELIEVABLE」というタイトルで、彫刻が水中にあったり、引き上げられたという設定の展示でした。

「評判が悪い展覧会でしたが、僕はあのあからさまな虚構性が好きでした。インパクトがあったのはとにかく巨大なオブジェ。モンスターが建築を食い破って中庭から出てきた瞬間で時が止まっているような。ゴジラみたいな謎の生物の巨大なオブジェが並んでいたり、モンスターのような現実にはあり得ない生物。それがティツィアーノの絵画とか、ヴェネチアの宮殿で見た宗教画と像を結んだのです。人間をどう描くか、さらには現実を超えるイメージをどう作るかというテーマがこんなに長い間、そして今も続いているということに驚いたんです。そしてそれが時代と技術とともにあるのだということにも。」
 
 
 
−−ダミアンは若いときから一貫して、「生と死」をテーマに掲げてますね。「生と死」、それは宗教が解き明かしたり、解釈しようとするもの。その関連が直感で伝わったということのようです。
 
 
「音楽に置き換えると、そういう強烈なインパクトはメロディのようなものです。音色とかビートとかいろいろな要素が合わさりつつも、メロディが人に与えるインパクトというものは美術でいうと超時代的な象徴性や記号性なのですが、一方、音楽の場合、メロディが強いことと音楽的な技術は共存しないことが多いんです。これは音楽側から見た美術に対する解釈の一つです。音楽を作っていると何百年経っても音楽は変わらないと感じるのですが、美術もそうなんだということが、あのとき、ダミアンを見たあとでティントレットやティツィアーノのある空間に一人、身を置いて過ごしたら、強い実感をもってわかったということですね。その経験から祭壇画について興味が出てきたりしたんだと思います。」
 
 
 
−−ヴェネチアビエンナーレはご存じのとおり、現代美術の祭典ですが、2011年、スイス人キュレーターのバイス・クリガーが総合監督を務めたとき、彼女が自らキュレーションを手がけるビエンナーレ館の中心にティントレットの《最後の晩餐》をサン・ジョルジョ・マッジョーレ島の教会から借りてきて置いたんです。それは渋谷さんが体験した「芸術は何百年も繋がっている」という事実の明示だと思いますね。
 
 
「そのことは知りませんでした。」

カラヴァッジョ(本名 ミケランジェロ・メリージ)
《音楽家たち》1597年 ニューヨーク、メトロポリタン美術館
Rogers Fund, 1952 / 52.81

−−メトロポリタン美術館展はいかがでしたか?
 
 
「西洋絵画の500年をあらためて見渡す機会としては非常に有意義だし発見もありました。思ったのですが絵画のピークはやはり1600年代くらいまでで、1700年に近づくと技術的にも平坦になるし、かけている時間も減っているのが如実にわかるんですよね。これは20世紀のピークが1970年代だと言われているのと少し似ている印象があります。ティツィアーノの作品も来てて、じっくり見ました。《ヴィーナスとアドニス》。もう少し大きな作品も見たかったですね。あと、カラヴァッジョの《音楽家たち》はやはりすごいなと思ったので、美術館の帰りに宮下規久朗先生の『もっと知りたいカラヴァッジョ 生涯と作品』(東京美術)というごく入門的な本を買って読み込みました。絵を見て、2〜3日、熱に浮かされたようになっていたのでカラヴァッジョのことを調べ続けたりしました。たとえば《聖パウロの回心》について明快に解説してくれているところなど、目から鱗でした。」

カラヴァッジョ《音楽家たち》の前で。
国立新美術館「メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年」会場にて
撮影/森本美絵

−−ありがとうございました。また今度、熱に浮かされるような展覧会、ご一緒しましょう。

メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年

会期|開催中 - 2022年5月30日(月)
会場|国立新美術館 企画展示室1E
開館時間|10:00 - 18:00 [毎週金・土曜日は20:00まで 入場は閉館の30分前まで]
休館日|火曜日
お問い合わせ|050-5541-8600 [ハローダイヤル]

■会期等、今後の諸事情により変更される場合があります。展覧会ホームページでご確認ください。

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